三間四方の能舞台には、人と木の魂が宿っています。
日本の心を伝える伝統芸能・能の世界は、木と密接な関わりがあります。観世流の能楽師である浅見重好さんに、
その発祥から能の背景に描かれる老松の秘密、そして能面や舞台など、能と木の切っても切れない深い「縁」について、おうかがいしました。
「お能という芸能は、室町時代に生まれました。そのルーツは神事芸能の猿楽や田楽、延年などです。これらは神社仏閣の境内などで行われ、舞台は必ず古い松の前にしつらえられました。これは樹齢の長い木には神が降りて来る、などと言われていることに起因するのだと思います。その名残で、今も能舞台の背景となる鏡板には“老松”が一本、描かれています。お能は、室内・戸外を問わず、あらゆる場面すべてが老松の背景で演じられます。小道具の類も、最小限。見る人が自在にイマジネーションを働かせ、シンプルな舞台に色づけして鑑賞するところに、その趣があります。
現在の能舞台も、天井から床まで全てが木造です。舞台には釘一本、使われておりませんし、能面や小道具、お囃子の楽器や譜面台なども木または絹、皮革製で、金属類は舞台には一切持ち込みません。お稽古のときも、CDデッキや時計などは舞台に持ち込むことを避けます。演者は眼鏡や指輪などの金属類をはずして舞台にあがるのです。金属は能舞台にそぐわない、というこの感覚は、神事に近い心がまえなのかも知れませんね。我々にとって、舞台とは“木”です。昔から『ひのき舞台に立つ』などと言いますでしょう。伝統芸能の“舞台”は“ステージ”とは違う意味合いがあるのだと思います」
「お能の舞台は、柱の内側は三間四方。すべて木製で、その材質はひのきが一番と言われています。舞台の床板は、横に渡した丸い木の上に、三間の長さの板を舞台に対して縦に何枚も渡したものです。この床板には、謡やお囃子、足拍子を踏むとトンといい音がするようにと反響板の役割があるため、横板の上に敷き詰めるだけで釘などでは固定しません。
しかし木は生きていますから、季節によっては反ったり、収縮します。作ったばかりの舞台の場合、10cmほどのすき間があくこともあるほどです。しかし、お能は滑るように移動する摺足が基本なので、舞台にすき間や反りがあっては困ります。そのため、こまめに板を並べ替えたり、板のすき間にくさびを打つなどして調整する必要があります。またツヤを出し、すべりをよくするために炒った糠を日本手ぬぐいに包んだもので磨いたりもします。私たちにとって、舞台はとても神聖なものです。お稽古や本番のときはもちろん、お手入れで舞台に上がるときも、必ず白足袋を履いて上がるのが鉄則です。こうして大切に手入れしていくことで、年月を経るごとに、使いやすい、舞って気持ちのよい舞台ができあがっていくのです」
「舞台同様、お能を舞うときにつける面(能面、おもてと言う)も木製ですが、何百年も前に作られた古いものもあります。面は使った後に、軽く拭く以外は年に1度虫干しする程度。塗装がはがれ落ちそうな部分は修復しますが、全面的に彩色し直すことはほとんどいたしません。けれど古くから伝わる面にはやはり魂が宿るというのか、新しく作った面にはない独特の魅力を感じられます。
お能の舞台や面ほどではなくても、そもそも日本人にとって、木という材質は特別な意味を持っている気がします。神社仏閣が木造であるのはもちろん、洋風建築の家を建てても、ひと部屋だけは和室にして床の間や柱にこだわる人、お風呂はやっぱりひのきでなければ、という人も少なくありません。精神性なものも含め、木は日本人の体質にあっている材質なのかもしれませんね。
木と密接に関わっているお能の世界に生きる私が実感するのは、よいひのきには復元力がある、ということです。床板に深い傷がついても、しばらく経つとその傷が盛り上がって、傷が浅くなっていくのです。また木の香りは心を鎮め、集中力を増してくれるようにも感じますし、長時間正座しても、ひのきの床は足が痛くなりづらい。人の心と体を柔らかく受け止めてくれるというのでしょうか。これも木ならではの魅力でしょう。私も木と密接に関る古典芸能のお能にたずさわる者として、日本特有の木の文化や精神性、木の持つ魅力を伝えて行きたいですね」
Artist
昭和35年生まれ。故・浅見重弘の長男。二十五世観世左近および二十六世観世清和に師事。重要無形文化財総合指定保持者。社団法人観世会理事、社団法人能楽協会常議員。現役の能楽師として舞台に立つかたわら、後進の指導のほか、東京学芸大学音楽学部の非常勤講師などを務める。また、東急セミナーBE 渋谷校において一般の人を対象に能楽を指導。能の普及に努める。
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